難波春宵

法善寺横町、御存知?

大阪へ。
目的はただ一つ、「あおもり縄文まほろば展」を訪ねる事。縄文遺跡群の世界文化遺産登録を目指して、と題されたこの展示会の会期はたった一週間。出土品約600点の展示にしては余りにも短くも儚き期間だが、何かそれなりの理由が有ったのだらう。
大阪歴史博物館を訪れるのはこれが2回目。大仰な高層近代建築物は今ひとつ好きになれない。何より1Fエントランスや粗末で貧相なチケット売り場には、これから訪れる時空を超ゑた世界を予感させたり、何かわくわくさせたりする雰囲気が一切無い。横で組み立てられてゐた「いもたこなんきん」の昭和時代の民家のセットの方が、よっぽど存在感も好奇心をかき立てるものがあったな。
さておき、展示された文物はいずれも圧巻。北の豊饒。北の威風。北の宇宙。(「北」といっても彼の将軍様の話ぢゃーないよ)
(−_−)
風張(1)遺跡出土の所謂合掌土偶とは、上下左右前後から、都合30分近く対面させて頂いただらうか。三内丸山出土の大型板状土偶(小林公明氏はこの土偶と寸分違はぬかむばせをした少年と出会ったと言ふ)、縄文ポシェット、大石平遺跡出土のコビトの手形・足形土板、巨大な円筒式土器群などなど、見る物見るモノがいずれもじっくりと観察せざるを得ない超級文物であり、当の岡田氏に因る展示開設も何処吹く風と、しげしげと、じっくりと、時には黙視して、時には暗視して、そしていずれの瞬間にも幻視。
忽ち展示最終日の最終時間まで、まほろばの世界?に浸りきって黄昏の街に退散。建設途上の超巨大警察本店を横目に、超豪華巨大的大阪城を尻目に、何故か天神橋方面から谷町筋日本橋にまで下り、春節らしく「上海新天地」へ。中華食品だの中華電影情報だの書籍雑誌等経巡り、日本橋から千日前の喧噪混沌人混みを彷徨へば、通りすがりに聞こゑるコトバは理の陶然の関西弁に混じり北京語・上海語・広東語に台湾語、韓国語にフィリピン語などなど、亜細亜の純真だの純粋だの純朴だの純血などとは無縁の、頼もしき混沌秩序が渦巻いてゐた。
居心地の悪さと不快さと心地良さの同居する不可思議な時空。其処に居る喜びと不甲斐無さの狭間。僅か10時間余りの大阪滞在だったが、縄文世界も含めて、十分異国であったさ。
    
上海新天地―歩く、食べる、遊ぶ、働く
こっちは本場、上海の指南書にて候。