文物考

厳窟王?

奈良県明日香村、キトラ古墳の壁画剥ぎ取り工作は、我々現代人を実に複雑な心境に追ひ込む。
高松塚古墳の分解移築復元問題も然り。我々が開封しなければ、未発見のまま壁画は千年先までも保存されたのかもしれないし、我々が開封しなくても、明天発生する大地震で剥落分解してゐたのかもしれない。
世の中には、道徳心の無い考古学者に因って、興味本位や名誉目当てで掘り起こされて、何ら保存処理もされずに風化してゐる遺跡も無数に有るし、発掘当時の最新細心の保存技術を駆使して処理処置され、それらが成功する例もあれば消滅を加速してしまった例もあらう。
確かに、遺跡はその地に有りてこそはじめて存在価値と意味を持つものであり、遺跡から遊離した文物はどことなく虚しく、価値も異次元世界のものに変容してゐることが多い。人間の営みの結果が遺跡であるが、残された文物の本質に即して理解してゐる学者が、果たして何人居ることか。言語と時空を越ゑて存在し続ける本質は必ず有るはずだが、その理解(または感得)は言語を介しない領域、即ち直感(または直観)に因ってのみ可能なのではないか。
残された文物が人間に因って造り出されたものである以上、機能やその機能に由来する美しさ、または思想的精神的哲学的背景などは、時空をいとも容易く超越して直接現代人の心や情緒と共鳴可能なのである。であるがしかし、我々の心の奥底に秘められた情緒受容体を無意識下に起動不能なヒトも増殖してゐるだらうから、本質の継承伝播は本来時間軸の進行(螺旋的上昇)につれて不利になってゆくはずだ。がしかし、数千年以前の本質を眉間で刹那に感じ取ることが出来た場合も実際には有るが・・・
もはや、文字にて書くことさへも、煩はしい。
(-_-)
ところで、遺跡を復元することに意味は有るのか?

出土遺物の応急処置マニュアル

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