真実の伝へ方

「はざかけ」と申します

はっきり言ってマイケル・ムーアの言いたかったことはよくわからなかったし、彼のいろんな行動が対象としてゐる問題の解決に積極的に貢献するものであるとも、真実を正確に伝えてゐるとも思はれなかった。「ボーリング・フォー・コロンバイン」てうドキュメント映画のこと。どんな内容なのかな、と気になっていた作品だったから、「華氏911」公開の余波でテレビ放映されて、それも日本語吹き替えで見ることができて、よかったといへばよかったな。今風に言へば、内容を知ることができたことは「よかったかも」、内容は「あまり好きじゃないかも」しれないかも?
人種も多様で銃の所有者もアメリカに劣らぬほど居るカナダで、どうして銃犯罪や銃による殺人事件が少ないのか? 西部開拓の歴史的背景がアメリカを銃社会にしてゐるてうことだが、それだけの理由なのか? アメリカは特殊なのかって? 特殊以外何者でもないと思ふのだが、アメリカ人はさういふことは認めないだらうし、そもそもかういふ質問には興味が無いだらう。これ以上続けると、先日同様嫌米家の戯れ言に陥るだけなのでやめておく。でもこれら両作品を見てよくわかったことは、対外的には常に一定の条件を備えた敵の存在(フセインであれ偉大な将軍様であれオサマ・ビン・ラディンであれカダフィであれ、イランであれ日本であれ、「悪」の条件を備えたものなら人間でも国家でも)が必須であり、対内的には不安や恐怖(黒人による犯罪の過剰な報道や、常に変動するテロ警戒情報など)を流布することによってのみ人民を制御し得る仕組みの国家体制であるてうことを認識することができた。これは、長年抱いていたアメリカに対するもやもやした割り切れ無さ、捕らへどころの無い不快感に対する一つの答えを得たてう意味においては、評価すべきことだな。ふむふむ(-_-)
今朝は肌寒さに目覚めた。大陸性の乾いた空気のおかげだったのだが、裸に近い恰好で寝てゐたのがいけなかったのだ。気が付けば稲刈りもほとんど終はり、風の音にも驚かされたりける秋の風情。友人的旅団は中国大陸奥地、大黄河中流域の黄土高原方面に出発していった。さて、わたくしは何処へ行かう?