パンク歌舞伎と大名古屋城再建計劃

舊暦十一月十八日

本日ハ天氣晴朗ニシテ風強ケレド、御日柄モ宜シク、パンク歌舞伎日和ナリケリ。
よもや能舞臺で切腹ピストルズ拝めるとは、平成の世もまんだ捨てたもんぢゃないな、などと思ひたりけるよ。
ハラプロジェクトによる『地獄極樂』は、平清盛を苛む源義朝の骸骨亡霊にはじまり、原智彦十八番の俊寛は喜界ヶ島の赦免船を経て常盤御前と牛若丸の絡み、そして清盛の因果の果ての地獄繪圖・・・
ロックバンドと民族樂器、琴の伴奏で物悲しく歌はれるバロックソプラノのアリア、そして待ってましたと切腹ピストルズの脳髄まで過激に響く鉦と太鼓の大亂舞。勿論能舞臺と言ふ「枠」と言ふか厳粛な空間が前提として鎮座してゐるので、豊田の橋の下のやうな自由空間と違ひ、あくまで其の「枠」を最大限に使った演出に限られたワケだが、開かれた能舞臺の可能性を擴大させたことは確かなこと。
終盤は歌舞伎を観てゐるのか前衛舞踏を観てゐるのか、ロックを聴いてゐるのか一緒に踊り念佛を唱えてゐるのか、舞臺と現實の境界まで曖昧になるほどの状況が出現し、そして全ての混沌が橋掛かりから鏡の間に吸ひ込まれていく有り様が誠に見事で御座った。
千秋樂は満員御禮にて仕りける。<(_ _)>































































天守石垣を取り巻くピカピカの単管足場群によって、不可思議なSF的風景が出現してゐる。
此の足場は石垣の詳細調査用に組まれたもので、一石毎の石の状態(戦災に因る被熱の有無や石材の状態、周囲の隙間の深さなど)を現在調査中なのだ。

大高架世界と貝殻山の行方

舊暦十一月十六日
彌生時代の大集落、朝日遺跡の現状。これほどの大遺跡にも拘はらず、車から見える部分にも、自轉車で通行出来る下道にも、遺跡名の表示ひとつ無いことは、愛知縣の文化財行政の敗北と怠慢を象徴してゐる。これではいくら出土遺物が重文指定受けても、遺跡の価値半減に等しい。
遺跡は告知され其の存在を示されてこそはじめて、今生きてゐる者の血肉と成り得るのではないだらうか。
林立する高架橋の柱1本1本が殆ど全て調査区跡地であり、いろいろな記憶と感興が交錯する場所。